2017年8月13日日曜日

盆と里帰り <ライネケ>

この暑い時期に、皆さん、ご苦労さんです。

この世の人もあの世の人も、よりによって、この暑い時期に、行ったり来たりするもんだ。


ちょうど、Soraちゃんが帰ってきたので、まずはお墓の掃除をして、明日、お迎えをします。そのつぎは、お送りするというしきたりだ。

十数年前、我々が倉敷から帰って来るまでは、月に一回、帰省するたびに、お墓の草抜きをしていたんだが、こちらに住むようになってからは、年に数回お詣りに来るときだけ、掃除することになってしまった。
 田舎から都会に出て、ふる里から縁遠くなって、本人以外の家族にとって、実家といっても、もはや故郷でも何でもない、という人達が増えて来た。お盆時期の大渋滞の中を、久しぶりに田舎のお墓に来てみれば、八重むぐらに埋もれていて、今日、虫に食われながら大汗をかいて、掃除しても、次来たときはまたもとに戻っている、というのでは、嫌になるだろうね。
 それで、「お墓」を、「お寺さん」を含めた「田舎」というものから絶縁して、都会の集合住宅みたいな建物に集中管理式に収めて、永代供養してもらう、という一種のビジネスがあるそうだ。
 「ふる里」というものそのものが曖昧な物になっているのだ。我々一人ひとりが、実に、生きながらお互い、無縁仏になりつつあるのだ。

久しぶりに帰ってきたSoraちゃんと一緒に、大洲でお昼ごはんを食べた。


大洲の肱川のたもとにある川魚料理屋さんで、うな重だ。


前を肱川が流れて、


その向こうには冨士山(とみすやま、富士山ではない)が見える。外気温は32度だが、川風が心地よい。

前にも引用したが、

 問君能有幾多愁   
    君に問ふ 
    よく幾多(いくた)の愁(うれ)ひありや
 恰似一江春水向東流 
    恰(あたか)も似たり 
    一江の春水の東に向かひて流るるに

春じゃないし、肱川は西に向かって流れてるんだけどね。




2017年8月4日金曜日

年貢の納め時とそれから <ライネケ>

7月29日土曜日、外来を終えたライネケとネコパコは、松山ICから高速道路に乗り、ひたすら滋賀県をめざしたのだった。


伊予西条ICのあたりで、ふとバックミラーを見ると、後方に、赤灯をつけた車両が見えた。慌ててアクセルから足を離したが、遅かった。

「松山から西条まで80キロ制限なんですよ。」
と覆面パトカーの婦警さんが説明してくれた。運転席の前のダッシュボードの下に取り付けられた表示に、105.5キロという数字が出ていた。
「24キロ超過です。違反点数は3点です。3ヶ月違反がなければ、消えます。」


ハイハイ。3ヶ月だね、とおいらは頷いた。
「この青い紙に拇印を二箇所押してください。」
ハイハイ。最近の印肉はサラサラしてるんだねえ。
取締車両の後ろ席のおいらの方に体を向けながら、婦警さんは青い紙と白い紙を手渡してくれた。
「それで、18000円振りこんでください。この青い紙は適当に処分していただいてかまいません。」
ハイハイ。年貢の納め時ということでござるな。以後、気をつけて走ります。お役目、大儀至極にござった。



滋賀に行って、久しぶりに空飛ぶGamaくんことSoraちゃんを見た。30キロ飛んで着水し、アシストのボートに引き上げられた彼は、ほとんど自分の限界を越えた直後、身を動かすこともままならぬ様子で、ずいぶん気が立っているように見えた。

これはいつもの彼なのだろうか。自分への怒りを押し殺しているかのようだった、と言ったら、うがち過ぎだろうか。強くて、しかも心優しい人でいてくれ給え。

キツネコ一族だけでなく、Harunoくんの嫁御のご両親まで、はるばるお越しくださって、40度前後の日差しの中を見守ってくださった。両家一族合わせて、一体何人いたのだろう。集合写真を撮るべきだったが、忘れた。

さらに、彼の空の旅を支えてくださった多くの方々一人一人にお礼を言いたかったが、一部の方たちにしか言えなかったのが心残りだ。「人力」とはよく言ったものだ。文字通り、多くの人達の力の集結によって、このような場が催され、機体が作り上げられ、飛ばされ、飛行への思いを分かち合うことが出来るのだから。

う〜ん、Soraちゃんはね、Gamaくんはね・・・。おいらにとって、当家の子どもたちは、みんなそれぞれ、縁あって私たちのもとにやってきた者たちだ。今はなきロナも、今いるゴロだって、その一人一人だ。特にこの子が、この人が、ということはない。才も不才も、姿の良し悪しも、金のあるなしも、地位の高か低くもない。みんなそれぞれ愛おしいものたちだ。彼も、たしかに、ちょっと変わり種ではあるが、縁あって私のもとに来て、私たちのもとから飛び立って行った者たちの一人として、そのこれからに、幸あれと祈らずにはいられない。


首を切られない程度に、十分、静養をとってくれ給え。


滋賀を出て、途中ネコパコを吉川で下ろしたあと、ひとり愛媛をめざして、走った。3ヶ月はおとなしく走らなければならないことを忘れて、夕闇が迫り、夜になった高速道路をひた走った。いろいろ思いを巡らしながら、ぼんやりと暗闇の中を走るのは慣れている。16時ころ彦根を出て、650キロを帰って来たら、22時過ぎだった。

家の中からゴロの鳴き声が聞こえた。


待っていてくれるものがいるというのはうれしいものだ。



2017年6月24日土曜日

ホームアローン ライネケの食生活 <ライネケ院長>



月曜日から、引っ越しをするChicaの手伝いをするのだと言って、ネコパコが東京に出かけて行った。帰って来るのは来週の月曜日だそうだ。

6月はじめに梅雨入り宣言があってから、ずっと晴れが続いて、いつもの空梅雨だね、と思っていたら、昨日から少し降り出して、今日は曇り。来週から、本格的な梅雨になるのかね。

そんな中でも、仕事はせにゃならぬし、食事もとらねばならぬ。
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まず、朝は、
目玉焼きとウィンナーの炒めたやつ、キャベツ・玉葱・人参の炒め物、トースト二枚、牛乳
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午前中の仕事が終わった。
さて、昼は何にするか、と冷蔵庫を覗き込むと、
冷凍したドライカレーをご飯に載せ、解凍し温め、生野菜サラダ用に刻み野菜に日曜日買ったドレッシングをかけ、朝作った野菜炒めをつけよう。
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夕方が近づき、午後の仕事が終わる頃、夕食をどうするか、考えなければならない。また冷蔵庫にくびをつっこみ,
シオシャケの焼いたのと、ネコパコの作っておいてくれた鶏の柚子・胡椒味煮付け、インスタントの赤だし、生野菜刻みのサラダ。
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やれやれ、これで三度の食事が一日済んだわけだ。明日はどうしよう。これがあと何日続くのやら。


あとは、例のごとく、食後の珈琲で一服。
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そうそう、忘れてはいけないのが、


この子のことだった。ずっとドライフードの餌だが、文句を言わないで食べるんだぞ。
それにしても、割引があるというので「Sheba」というシリーズに変えてみたら、容器に入れてやるはなから、そっぽを向いて食べない。それで、割引がなくなったけれど、もとの「懐石」というシリーズに戻したら、早速食べるようになった。前者はカナダ製で後者は国産だ。ゴロフクは、どうやら和猫のようだな。

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いつの間にやら、ネコパコが出かけてから、6日が経ち、食卓のことを考えるのも、もうしばらくの辛抱だ。三度三度の食事の内容を考えるって、本当に手間だ。

いわゆる「おさんどん」という言葉は、三度の食事という「さん」から来る言葉ではないらしくて、元来、炊事係の下女を指す言葉だったそうだ。それにしても、食材の買出しも含めて、炊事だけでなく、洗濯も掃除も片付けも、どれをとっても大変だ。およそ、下女というような蔑称をもって、身分の低い誰かに押し付けて済ませられるような仕事ではない。ネコパコには感謝しているよ。

ネコパコさま、ナマネコさま、どうか、無事に帰ってきてくだされ。6月27日は、貴女さまのお生まれになった日です。腰をお大事になさって、元気に帰って来てくだされませ。





2017年5月23日火曜日

お山の上にて 仙人掌姉

カピバラ氏と箱根のお山の上に行ってきました。

箱根のお山の上には、秘蔵ハーゲンダッツ:チョコレートブラウニー味を
勝手に食べた食べてないで揉めている、兎が住んでいます。
かなり激しく揉めていました。

箱根のお山の上に行くには関所を通らなければいけません。
関所では入念な持ち物検査とパスポート確認が行われる他に
「猫派か犬派か?」「朝食の卵はスクランブルエッグか目玉焼きか茹で卵か?」
「湿ったカールと気が抜けたコーラならどっちが好き?」などという
かなりハイレベルな質問が待ち受けているので、ドキドキします。
仙人掌姉は湿ったカール薄味と気の抜けたコーラが好物です。
カールは梅雨時期に封を開けて一晩寝かしてから食べるのが、通の食べ方です。

空気が澄んでいて、色々なものの色がとても綺麗に見えました。
心なしか仙人掌姉のお眼眼も若干濁りが消えたようです。


あっという間に5月ももう後半ですね。

箱根美術館の苔庭の完成度が高く、素晴らしかったです。

ハーゲンダッツ:チョコレートブラウニー味を食べた真犯人はコイツです。
邪悪な埴輪兎!
以前、仙人掌姉の自宅の冷凍庫から
「ダイエット中だから可哀想だと思って食べてあげたのよ」と宣い
ハーゲンダッツを食べたのは事務長とSigu君です。
未だに覚えている執念深い仙人掌姉です。
 
 
暑い日が続きます。
皆さん体調管理に気を付けましょうね。
 

2017年4月22日土曜日

春を追って 仙人掌姉

時間が欲しいと思った。

大概は一人で自分自身と向き合う時間が必要だけれど今回は違う。
父と母と過ごす時間が必要なのだ。

そんなふうにりゆうをつけておねいちゃんは、
またなにからにげてきたの?
全部だよ。
いつも目の前の全部から逃げられないって
気付いてから逃げようとするんだ。
 
適当に詰め込んだ荷物を引きずって飛行機に飛び乗り、
東京が最初だった桜の開花宣言からフィルムを巻き戻すような季節を横切って
いつもの我が家に帰った。
 
サクラも若葉もシャクナゲもツツジも皆満開で、大合唱を聞いている気分になる。
石鎚山の谷筋に雪が残っているのが我が家の屋上からも見えた。
自転車に乗って周囲をフラフラしていると麦畑の麦がすくすくと実っている。
先月に訪れた時は石鎚山は頭全部が白くて、麦の穂はまだ若かった。

時間は止まらない。
仕事あがりの父に無理を通して育った街へと出かける。
観光地に住んでいたら「あるある」なのは、
有名なホテルでも宿でもお世話になる機会がないことだよね。
いつか泊まってみるのも面白いと思っていたアイビースクエアに部屋をとり宿泊。

夜の倉敷。誰も歩いていない裏通りを一人で歩きながら
ここで過ごした時間を思い出した。
 
 
春を通り過ぎて初夏の気配すら漂う鶴形山を朝食片手に親子三人であがり、
それぞれに思う事ありつつ、阿智神社にお詣り。
 
鳥居の上へ石を載せる遊びをしながら、夕方の時間を過ごしたのが懐かしい甍の街並み。
 
記憶はオルゴールの音のようにハイライトばかり繰り返すけれど、
生きていくのは、単調なリズムを刻むことの延長だったんだと、
歩き慣れた道を通り過ぎながら思った。
 
 
松山に帰る途中に鞆の浦へ立ち寄った。
穏やかな漁港の風景を好ましく感じるのは遺伝なのかもしれないね。
 
大急ぎで巻き戻したフィルムは、
あっという間にエンドロールが流れ始めた。
 
フィルムが無くなる訳でなし、ゼンマイが切れる訳で無し、
何をそんなに不安に思う事も哀しむ事もあるまいと、他人は笑うのだろうけれど
美しいものは全て哀しくて、愛おしいものは全て儚く感じるから
いつだって笑った後には泣きたくなる性分で仕方ないのだ。
 
 
 
だけど、いつか思い出すのは、どこのサクラの木のことではなく
車の後部座席から身を乗り出して、父と母の間に頭を突き出し
フロントガラス越しに見つめた
四国の山々が色とりどりの緑と桃色の点描だった事と
夕日が落ちていく瀬戸内の海が魚の鱗のように輝いていた事だろう。

 
 
時間は巻き戻せない。ただ通り過ぎていくだけなんだね。
共に過ごしてくれる人に感謝するしかないんだと今更ながら気付いたのに
また素直に口に出来ないままになってしまった。
笑って許してくれる人のもとへ、また何食わぬ顔で押しかけたら
皆でリフレイン。


2017年4月4日火曜日

2017年の春 <ライネケ>

春になった。

桜は、全国に先駆けて、東京で咲いたらしいが、愛媛の有名所では、まだつぼみが多く、せいぜい七分咲き程度のようだ。
それでも、ライネケとネコパコは桜を見に出かけた。



平野部では桜らしい桜は見かけないのだが、山間部に入ってみると、日当たりや何かの条件で数本まとまって咲いているところがある。



ここは、大洲から、肱川を遡上して、鹿野川ダムの近くの山の上にある小藪温泉をさらに山の中に入ったところだ。




地面には、ほんの5ミリに満たない紫色の花が咲いている。何の花かな? 小さきものはすべて愛おしい。




うつむきかげんに咲く白い花も。




大洲の出口に、まるで、京都の清水の舞台のような木造建築があった。少彦名(すくなひこな)神社参籠殿(さんろうでん)だそうだ。懸け造りといって、1943年創建だそうな。荒廃していたのを、2002年再建が始まり、ここに至るそうだ。再建に米国の非営利団体の支援を得て成ったというのにはちょっと驚いたが、一見に価するなかなか立派なものだ。

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ところで、今年はじめてのセイリングに出かけた。

4月1日土曜日、午後3時、仕事が終わって、晴れていて空気も暖かかったので、Haruno君の置いて行ってくれたウェットスーツを着て、燃料ポンプの修理から治ってきたばかりのMB230の上に、アクアミューズを載せて、塩屋の浜に出かけた。潮が引きつつあり、真横から4mくらいの北の風が吹いていて、どんどん沖合に出た。1時間くらい、沖合を行ったり来たりして、5時半ころ無事に着岸した。

着岸しようと、艇を渚に向かわせていると、浜辺に、ウェディングドレスを着た男女の一群がやって来て、夕日と海を背景に写真を撮り始めた。彼らにとって、今が人生の春なのだろう。不粋なひげの老人が、彼らの近くで撤収作業をすると、せっかくのいい気分が壊れるかもしれないと思って、迂回して、少し離れたところに艇を引き上げた。

風が強くて、結構ハイクアウトしなければならなかった。明日は、おなかが痛いだろう。









2017年3月29日水曜日

証し <ライネケ>

某嬢が永遠の証しにと指輪をもらったのだという。

永遠の誓いか。
昔々のこと、ライネケに極めて近しい人の離婚話が持ち上がったころのことだ。ライネケの父親と車に乗っていて、出会いの大橋に近づいた時、その話が車中で出た。老ライネケが運転していた若いライネけに向かって、伊予言葉で言ったもんだよ。
「あれらが添い遂げるようなことがあったら、それこそ、美談じゃわい。」
だって。

どうやら、カルチエの店で買ったもののようだね。
ダイアモンドは、その硬さ故に永続性の象徴だ。
どうか、指輪をもらった某嬢と指輪の贈り主が、永遠に添い遂げられますように、と心から願うよ。

昔は、親が似合いの相手を探し回って、釣書を見て、場合によっては興信所に依頼して調べてもらって、見合いして、やっと結婚にこぎつけるという具合だったらしい。要するに「割れ鍋にも綴じ蓋」を探したわけだ。それで、男性側が婚約指輪を渡し、結婚したら、お互い結婚指輪を取り交わすという運びになるらしい。

「らしい」というのは、おいら達ライネケとネコパコの間には、そんなやり取りはなかったからだ。

二人の男女がたまたま、何かのはずみでどこかで出会い、たまたま二人で共に生きて行くのがいいのだ。おいらにとっては、結婚とは「成り行き」の神様の前で成された一種の契約であって、いろいろな思惑、都合、条件を超えた偶然のめぐり合わせによって生じる純粋なものでありたいと思ったからだ。ある意味では、偶然性が高いほど純粋なのかもしれんって。自分は優れた人間だから、相手もそれにふさわしい優れた女性でなければならない、などと考えるのは、神がお許しにならない傲慢というべきだろう。

若かったライネケには、世間の誰もがするような贈り物をするという観念がなかった。金がなかったわけではないが、貧乏性だったしね。初めて、ネコパコと出会った頃は、たまたま何かのはずみで眼鏡のレンズを割ってしまってて、それを接着剤でくっつけて掛けていた位だ。女子大を卒業したばかりの若い女性の目には、よほど変な男に見えたことだろう。

まだ20代なかばのライネケとネコパコは、夕暮れ迫る京都の四条あたりに、いつものように自転車で出かけて、ふととある宝飾品の店のショーウィンドウに、ささやかなペンダントトップを見かけた。
緑色のガラスを透かして
銀がきらめく。
七宝細工の小品だった。半月型の銀板の両面に、緑色のガラスを盛り上がるように載せてある。2000円もしなかったと思う。単純だけど、表も裏も同じ細工で、買得だと思った。
女性と無縁だったライネケの生まれて初めての女性へのプレゼントだった。ちょっと照れるね。

下に敷いてあるのは
シラカシ次郎の葉っぱ

これも、少し遅れて、やっぱり京都の四条あたりで買ったものだ。いわゆるマベパールにゴールドの縁をつけたものだが、涙滴型できれいだ。これも割合安価なものだ。

大学を卒業したばかりの若かったネコパコは、いつも黒いぴっちりセーターを着ていて、その胸にこのペンダントがぶら下がっているのを見ると、ライネケの心はおどった。ふたりとも、若く、つましかった。当時は、若さと貧しさは時代の一種の風潮で、たとえ裕福な出自であっても、服装に意を凝らす気配を避け、男子は戦前のバンカラの風があった。

今こうして見ると、たとえ高価でなくとも、ライネケの選択眼は悪くないと思えるし、不思議なことだが、貧しさは美しさと通じるものなのかもしれない。

ところで、最初の某嬢のもらった指輪は、なんとサイズが小さくて、本当は薬指に付けるリングが小指にかろうじて入ったのだと言って、笑いながら指を振って見せてくれた。

人生は現実に合わせていくものだ。
最初は小さく末は大きく育ちますように、祈ってやまない。