2008年4月25日金曜日

弁当と「おさんどん」その3 <院長発>

<院長>
「おいらは昼飯は弁当にする。あとの二人は、食堂なり、弁当なり、コッペパンにパック牛乳なり、好きにするがよかろう。とにかく、おいらは、昼は昼飯時に食べる。」と宣言して、以来14年間、ずっと弁当。何せ、おいらが「科主任部長」でトップだったんだからね。宣言すればそれで終わり。あとの二人はそれぞれ弁当を配達させたり、病院食堂に行ったりしていたようだ。

世間の人たちはどう思っているか知らないが、少なくとも昼食に関しては、医師なんて、本当に貧しいもんだ。働き盛りの若い研修医なんて、昼飯抜きだったり、パン一個だったり、バナナ一本なんてのもありだ。

ちゃんと昼過ぎには、午前中の仕事に区切りを付けて、バランスのとれた昼食をとって、体力的にも余裕を持って、気力の面でも心豊かに、仕事を続けてこそ、いい仕事ができると思うんだけど、大病院というのは患者が多くて、待ち合いで、もう2時間も辛抱強く待っててくれる、と思うと、つい昼が来ても、外来を続けることになる。1時が3時になり、ええい、もう一息、とうとう夕方まで仕事を続ける。

夕食をとる暇もなく、病棟に行って、処置だ、カルテ記入だ、指示簿だ、ということになる。

看護婦:「指示は夕方の申し送りまでに出して下さい。そうでなければ、夕方以降の検査採血はドクターが自分でして、検査部まで持ってって下さい。」
医師:「あれあれ、おいらだって、そりゃそうしたいんだけど、そう行かなかったんだよ。看護婦さん、そんな冷たいこと言わずにやってよ。ずうっと仲間だったんじゃないか。」
看護婦:「今までさんざんえらそうに言って、困った時は仲間だ、協力者だ、と言うけど、結局、人をこき使って来た歴史があるじゃないか。」

現場も人間関係が冷たくなって来たのか知らん、それともよほど今までえらそうにして来たのか知らん、とも思う。

第一、そんな慌ただしい生活を送って、一個の人間として、どうなのか? 人の生殺与奪の権を握って、夜討ち朝駆けの人生を、白熱の瞬間を求めて生きる、と言えば、生き甲斐のある人生だと思えるのかもしれん。それにしても、かつては、「国手」とも言われた人たちが、こんながさつな生き方をしていていいのだろうか。一種の戦場裡にあるとしても、何かの古い外国映画で見た将校達のように、食事は、白いテーブルクロスのかかった長いテーブルを囲んで、給仕のサービス付きのきちんとした食事とワイン、喫煙に、しゃれた会話や意見交流と情報交換の場を持つ、そんな具合に行かないものかね。時代が違う?

昼過ぎ、ちょっとしたタイミングで、何とか30分だけ待ってもらって、何とかまともな昼食をとれば、それだけで、大分、生活や仕事のサイクルも気分も変わるかもしれん。日頃から、その30分を笑って許してもらえるように、患者との関係を深めておくべきだ、という見方もできるかもしれん。とにかく、立ったままでのカップヌードルなど、医師たるものの食事ではない。

(この項続く)

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