2008年8月20日水曜日

GIFT FROM THE SEA <院長発>

さらば夏の日
遠い昔あるいは近い過去に、父親を失った、男の子たち、女の子たち、
そして
いつかは、父親を失うであろう子どもたちに
捧げる


Anne Morrow Lindbergh


"GIFT FROM THE  SEA"

(海からの贈り物)


1955


分昔からライネケ院長の父親の書棚にあって、今は、ライネケ院長の蔵書になっている洋書。「海からの贈り物」。第1版第3刷、ロンドン、1955年。


い白人女性が豊かな髪を風に投げて、浜辺に横たわっている。表紙と題名がいい雰囲気だ。元の持ち主も大事にしたんだろうか。わざわざ硫酸紙のカバーが掛かっていて、取り外してみるとかなり痛んでいる。だって、もう50年以上経ってるんだから、無理もない。


者は、アンヌ・モロー・リンドバーグ。かの「翼よ、あれがパリの灯だ」で有名な、初めて大西洋を越えてニューヨーク・パリ間単独無着陸飛行に成功したチャールズ・リンドバーグCharles Augustus Lindberghの奥さん。これは裏表紙。


を開き、ページをめくってみる。用紙がちょっと厚くて、経年変化のせいで黄色くなっているが、きっともともと淡黄色の紙質なんだろう。好ましい感触だ。

まず、著者名/表題/出版社のページ、目次のページ、そしてまた表題だけのページがあって、それから、前書きというか、緒言の3ページがある。そして、やっと、


第一章 THE BEACH 


のページに。そのページの空間を贅沢に使って、端っこに、可愛らしい巻貝がいる。ほら、波の音がそこに。




のページをめくると、また表題と巻貝のイラストを冠して、第一章の本文が始まる。随分手間をかけるもんだね。ここまでで、すでに15ページだ。


「海辺は仕事する場所じゃない。warmすぎるし、余りにもdampだし、本気の精神修養(real mental discipline)や精神の高揚のためにはsoft過ぎる。」というのが書き出しだ。右の余白に、誰かの鉛筆書きの書き込みがある。英英辞書にあたったんだろう。dampwet on the surfacedisciplineは training esp. for mind (特に心に関する体系的な訓練)だって。





章はどうかな。やはり贅沢なページの使い方だ。






第二章 CHANNELLED WHELK とニシ貝らしき絵だけのページがあって、その次に、再び表題と貝のイラストを冠した第二章の本文が出て来る。




のイラストは素敵だが、この章は、ニシ貝そのものの話ではないようだ。リンドバーグ夫人は、一時はこの貝殻を住処としたヤドカリがどうして貝殻の住まいを捨てたのか、と考え、こうして浜辺に休暇にやって来た自分も生活という殻を脱ぎ去って、逃げ出して来たのだ、という。


うして、彼女は、この海からやって来た貝殻が、単純で、無駄がなくて、しかも美しくて、ちっぽけだけど完璧であるのにくらべて、今、町に脱ぎ捨てて来た自分の日常生活という殻が正反対であると思う。


から吹く風に吹かれ、波の音を聞き、空の色を見て、いろいろ考えているうちに、彼女の想いは、家庭、仕事、主婦のありよう、女性のありよう、社会とのつながり、という風に、様々に広がって行く。そして、自分には、実務の上でも、精神的な面でも、単純さが必要で、何か中心になって依って立つ所が必要なんだって事に気づくわけだ。



筆なんだから当たり前だが、具体的に何かが起こるというのではなく、彼女の様々の想いが、次ぎつぎ連想的に転調して行って、いろいろな内省が生じる。そうした想いは何と言うかとりとめなく茫漠と広がって行って、結局彼女のバカンスが終わって、彼女が立ち去ったその後に、けだるく砂浜に打ち寄せる波の音と、何やら呪文めいた印象みたいなものだけが残る。慌ただしい日常生活の中で見失っていた物を見直し、家庭を持つ女性という作者がこれからどうあるべきなのか、随筆というか、哲学とまではいかない教養書というか、雑感というか、そういう漠然とした本なのさ。そうなんだけど、装釘や体裁を含めて、何と言うのか一種の気分というか、雰囲気があって、そういう漠然とした内容とマッチして、手元においておいて、時々パラパラとページを開いてしまう。



語自体はそれほど難文というわけではないんだが、長文の英語を読んで、各部分と全体を通じた内容をキチンと整理して把握するというのは難しいので、内容をみんなに上手に正しくお伝えする事は私の手に余る仕事だ。立派な訳書もあるので自ら読んで下さい。



部で8章あるうち、最初の3章までは、余白にかなりの書き込みがしてある。鉛筆で、時に赤インクで。ライネケ院長の父親の筆跡だ。つまり「伊予じいちゃん」だね。キツネコ一家の子どもたち、伊予じいちゃんのこと、覚えているかな? 戦前の旧制高校を出て帝大を卒業したインテリらしく、知識欲の旺盛な人だった。高校大学ではドイツ語が第一外国語だった筈だが、英語もかなり読めたようだ。私が中学生だった頃、私を深夜まで横に座らせて、三平方の定理の証明やら、複利計算の仕方やら、教えてくれた。私は眠くて眠くて。今から13年前、朽ち木が倒れるように死んで行った。75歳になったばかりだった。



うだ、あの人の筆跡だ。父は欠点もあったが、今の人々にはおそらくもう見られないだろう貴種らしき点があった。一種の絶滅危惧種というやつだ。一言で言えばお育ちの良さといったものだ。私が何かある毎に、かくあるべきだ、と思う自分の中の基準は、生前の彼の言動に影響を受けたものだと言わざるを得ない。つまらないことのようだが、町を歩くとき、両手をポケットに突っ込んじゃいけないとか。そういう些細なことから始まって、人間のありようとして根幹的なことまで。


のことを思い起こせばきりがない。さまざまの思い出の断片が水がほとびるようにあふれ出す。この歳になって分かることもあるのだ。平和な時代に生まれ育った私なぞより比べものにならないくらい、いろいろなことがあの人にもあった筈だ。戦前に生まれ、青春時代を太平洋戦争に過ごし、生き延びて、戦後復興を生き抜こうとしているさなか、この本を手に入れ、辞書を引きながら、海の向こうの異国の人の書いたものを読み、書き込みをした。今は亡き人の何かが、私の中にも流れているのを感じる。


は、一体、私の中の誰に話しかけているのだろう? 私の声も、誰かの声も、いつしか、微かになっていき、永遠の闇の中に消えてしまうだろうに。暗い海の潮をなす大小の流れのように、流れ行き、行き会い、あふれ、分かれ行き、融け広がって、目に見えない何かのように、いつしか何もかも分からなくなっていくみたいに。




6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

<ネコパコ>
この作品を読んだのはいつの事だったのだろう?
あまりにも昔過ぎて覚えていない
そして内容の細部についても、覚えていない

私の中では、母であり、妻である前にまず一個の独立した人間、独立した女であるためには、全ての日常から解き放たれて、物思うひと時がとても大切であるというメッセージがあったような印象があるのだけれど、全く違っているのかも…
余りにもいろんな出来事に私自身は浸食され続けている気がする物だから、勝手にそのように解釈をしているのかしら
まあいずれにしても、お父様はインテリでいらっしゃいました。
時代が生んだ一つのスタイルだったのでしょう

私たちは子どもに何を残すのでしょうか

匿名 さんのコメント...

ハアハア、(;θдθ)もうあかん、眠くて死にそうだ…。
 とうやん、文字いっぱい、ネタは小出しがいいと思います。
 連載にしてもらえると、さらに楽しめます。
あと一日、あと一日…
            深夜のガマ雄

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ父>
おお、sora、生きていたか?
元気にしてるか?
勉強ははかどってるか?

この程度の文字数は読んでくれ。がさつで、無神経で、無教養な人間にはならんでくれ。心の深い人間になっておくれ。

終わったら、帰っておいで。一緒にご飯を食べて、温泉に行こう。

匿名 さんのコメント...

その本は父の手から娘の手に渡りました。
私は思春期の本棚にその本を入れました。
結局、原文で全てを読み切ることはしなかったのだけれど、日本語訳を読み、時々ページをめくっては、
中の挿絵を眺めました。
そして初めて家を出る事になった時、また皆の本棚に戻しました。
そこから後は、私は知らない。

波は一つとして同じではないけれど、
それでも浜辺へやってくるのです。
私の浜辺へよせたあの波がどこから来たのか。
私の浜辺から還した波はどこへ行ったのか。

一つだけ、手元に残ったのは、
軸だけになった巻貝の欠片。
いつかの冬の浜辺で父が私の掌にのせてくれた、
小さい小さい貝殻骨。

幾度となく波にもまれても、
残る物はあるのだと、夏の終わりに思い出しました。
海流の中の島々は私たちだったね。

             chica

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
"Islands in the stream"

ヘミングウェイの小説は有名だけど、Chicaも覚えているかな?こんなことがあった。

例によって年末、大岐浜にキャンプしに行ったら、丁度、英会話学校の先生をやってる白人の一団がキャンプしていて、おいらも会話に加わった。

日本語の話になって、日本語はひらがなの海の中に島のように漢字やカタカナがあって、"Islands in the stream"みたいに見えるので、読みやすいんだ、と言ったら、彼らの中の一人が、 "Oh, you are a poet !"って言って、3〜4人ほどでいきなり、声を合わせて何やら歌い出した。後で考えると、あれは、ドリー・パートンの歌った、"Islands in the stream"だったんだね。

彼らは本当に乗りが良かった。マナーも良かった。日本人みたいに、夜の砂浜で馬鹿みたいに花火を打ち上げたり、四輪駆動で砂浜を荒らしたりしないしね。

 Islands in the stream, that is what we are
 No one in between, how can we be wrong
 Sail away with me, to another world

 おいらとお前の間は、潮流の中の島と島。
 誰一人、あいだにはいない。間違えようがない。
 おいらと船出しよう。別の世界へ。

おいらたちも一緒に歌おうか。
 Sail away
 Oh, come sail away with me
 ・・・・・・・・・・・・

匿名 さんのコメント...

覚えてなかったら、かきませんよ!!!