2010年9月27日月曜日

ぬこ祭り

おまえら、げんきか?
まいにちひるねしてるか?
おれ、ロナウド。
まいにち、ひるねもおやつもぜっこうちょうだぜ。
なんだかわかんないけど、さいきんおれんちはどれいがふえたきがする。
いつもなでなでしてくれるおかあさんいがいに
ブラシのどれいがふえてかわいいおねえちゃんもきたんだ。
なんでかはしらないよ。
おれにはかんけいないもんな。
ブラシのどれいはまいにちおれのせなかをぶらっしんぐするんだ。
あたらしいきもちがいいのもあるんだぜ。
こしぽん。ていうんだ。
こしをぽんぽんたたいてもらうと、ちょうきもちいいんだぜ。
このまえ、はいになりすぎちゃって
ついついどれいをかんじゃったぐらいだ。
まっ、こんどおまえらにもさせてやるよ。
どっかのきたないねこでれんしゅうしてから、こいよな。
おかあさんとおとうさんは
さいきんしごとがいそがしくてたいへんらしい。
だから、おれがなでなでさせてやってるけど
それでもつかれがとれないんだってさ。
ひるねがたりないみたいだ。
にんげんはたいへんだなあ。
おまえらもがんばれよ。
じゃあな。

2010年9月20日月曜日

Twilight Zone

過日,薬缶を乗せたら沸騰しそうな頭を前後左右に振りつつ
船を降りようととしていたがま氏が西の空を振り返ると,
そこにはいわゆる「とわいらいとぞーん」が広がっていた.
うっかりすると吸い込まれそうな青い空間が,白い手摺の向こう
にあった.今にも,ネッシーやキャプテン・スパローがさらいに
来そうではないか!                         
もちろん,スパロー船長は美女しかさらわないに違いないが.

トワイライトゾーンでは,人はなんでも出来る.
願いさえすれば矢のように駆けることも,空を飛ぶことさえも可能だ.
一人のひとが,一生に何度遭遇するのかはわからない.
ずっとトワイライトゾーンのなかで生きる人もいるかも知れない.
普通の人は多分一度きりだろう.
判っているのは,全てが白日の下に晒される真昼と,
なんにも見えなくなる夜との境で,トワイライトゾーンは
ほんの一瞬しかこの世に扉を開かないということだ.

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ある時は原付のハンドルに無慮十数本の栄養ドリンクをぶら下げ,
またある時は即席麺をアパートの扉に貼り付け,様々な支援(私怨?)
を送り続けた結果,がまの同期の苦労人が今年やっと大学院に合格した.
紆余曲折,苦節3年,というやつである.
がまが一年浪人をして,今,修士2年であることから推しても,
それがいかに長く苦渋に満ちた道程であったか,判ろうというものである.
もう彼には後が無かっただけに,体を張ってエンターテインメントを
提供し続けてくれた彼に惜しみない拍手を送るものである.
そして後日,彼はがまのアパートの扉の前にこんなものを置いてくれよった.
「礼」と大書した紙が張ってあった.
18食入り,迷惑千万.
gama

2010年9月18日土曜日

バ バ バ バ〜ン ガマ君 誕生日おめでとう!!

写真に写るのは「いやのこと 」とか…
そうは言ってもちょうど1/4世紀生きて来た記念ですから
君自身の来し方行く末を思うに いい時ではないでしょうか

と、独断と偏見で選んでみました
ネコパコの選ぶ
★その1.いつからガマは赤い靴が好きなのか

 一歳のときがそもそもの始まりだったのでしょうか
 時々女の子と間違えられることもあったとか 5歳遠足
 「イエ〜イ 空飛ぶ絨毯だぞ」 鞆の浦で草滑り
     とにかく元気の出る色だね赤は 
              それで今でも好きなんだろうか?

★その2.なぜ工作が好きになったのか
  それはやっぱり兄ちゃんの影響が大きいでしょうね
  このアクアラングセットも

 ジライヤのお面と鎧セットもみんな兄ちゃん作
 これで満足に遊んでたんだから、何でもすぐに買わない方が
 絶対いいよね 不便なるがよし かな

★その3. ガマの欠点はガマの長所か?
 何度やっても人とはあわない(あわせられない?)
 しかしこの自信に満ちたひとりよがりはどうでしょう
 実にすがすがしくはありませんか
 思わずまわりが「えっ?まちがってるのはあたし?…」

 これはガマ君の欠点でもあり長所でもあると…
   ここまで来れば単なる親ばかか

 まあ何はともあれ19日
 誕生日おめでとう
 良き社会人になってくださいませ   ネコパコ拝
 

2010年9月17日金曜日

ネコパコ事務室だより 16

あの過酷な夏もとうとう終わった
高原は すっかり秋の装い
下界も朝夕めっきり涼しくなった

ただこれがやりたいばっかりに1250kmを駆け抜けて来たガマ君…
そんな彼も自転車を背中にしょって
船中の人となって また去っていった
ネコパコはやっと家事に向かい合う気にチョビッとなり
夏の大行事カーテン洗いにいそしんだ
ところがなんと!
この夏の太陽で急激劣化した リトアニア麻は見事にこうなった
恐るべし紫外線
ガラスでカットされていた方は明らかに健在…
人の皮膚においてやおやである
長時間烈火にさらされたガマ君に何事もないことを祈る
秋に上京する口実がまた一つ増えた
渋谷のマルハンで麻を一巻買ってこなければ

2010年9月12日日曜日

がま君の旅 総括篇 1250キロの果てに

 実家のおいちいご飯を寝ては食べ、食しては寝ること三日、
絞って乾いたボロ雑巾のようになったがま氏は大分元気を
取り戻し、そろそろ雑用も降ってこようか、という頃合い
を見て北国にカエル算段を立てているそうな。      

がまにとって自転車は移動の手段である。
別に「たびがしたい」とか、「ろまんがある」
とかいった大層な理由は何もない。
「砂糖水と適当な無機物を与えれば動くエンジンと、
それを乗せれば走る道具があるらしい。
使えなくなる前に使っとこう。」

という甚だ短絡的思考が働いた結果、
日に百里を奔り、かえって財布を軽くしたりする。
やはり所詮両生類程度の脳みそでは合理的判断は不可能事か。

しかし道具はなんであれ、
山を穿ち、海を穿ち、空を穿って、
どこまでも駆けてゆくのは気持ちのよいものである。
そして、身も心も疲労困憊の極にあってなお
帰る場所があるということは何と幸せなことであろうか。
「おまえ幸せもんだぜ。しかし当分自転車は満足だろう。」
と、友人のウツボ氏も言っている。
彼は好き勝手なことを言っても寿司に握られたり、
がまのように油を搾られたりしないので、気楽なものである。

その言葉を聞いたがまは、しばし目を白黒させて考えていたが、
「そうだなあ。それは前から思っていた。」と言った。それから、
思い出したように中空に向かって以下のようにも呟いたようだ。

「ブログを見てご声援をお送り頂いた皆様、
旅の途中でご支援頂いた方々、
    このたびは、大変お世話になりました。
そして、ご心配おかけしました。
   帰省旅行も無事終わり、がまはこれから
マジメな学徒に戻ります。
     今後もどうか宜しくお願い申し上げます。」

gama

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徒然雑草 chica

とんだり、はねたり、ころんだり。
喜んだり、悲しんだり、驚いたり。
自分の知らなかった自分に出会う。

鏡を覗きこまなければ出会わないのかと思っていたけど
隣の誰かは、ずっと私を知っている。


千のくちづけをあなたに。
いつも  いつか  ありがとう。
                 Chica

2010年9月9日木曜日

Chikaさん おめでとう


Chikaさん、誕生日おめでとう。

夜になって、ネコパコ母さんが産気づいた。大学の職員宿舎から大学病院までは、ほんの数分。若かったライネケとネコパコの二人は、荷物を持って、職員宿舎から土手を越えて駐車場に上がった。駐車場を突っ切って、産科病棟の暗い廊下を肩を並べて歩いて行った。

産科病棟の詰め所の前で、ネコパコと別れて、ライネケは、一人、宿舎に寝に帰った。若い看護婦さんが、「何かありましたら、連絡しますから。」と言った、と思うんだけど。

「がんばれよ、ネコパコさん。」

翌朝、ライネケが産科病棟に行ったら、「無事に、お生まれになりました。」と言うではないか。「えええ?! 呼んでくれたら、夜中でも来たのに。」と思った。


そして、Chikaさんがうちにやって来た。不思議なことに、二人だったのが三人になった。一番最初の子で、我が家のはじめの元になってくれるといいと思って、この字を使うことにした。「もと」だとちょっともったりしていると思った。漢和辞典であたったら、名前用の読み方として「ちか」というのがあった。「ちか」という読みならいいな、と思ったので、それを採用した。
S 医大病院職員宿舎の庭で

名前は一生使うので、覚えやすくて、印象深く、含蓄があって、しかも、意外にそこいらにないのがいいと思う。何より、親が一生懸命考えてつけてくれて、子どもがそれを気に入って誇りを持ってくれる事が大切だろう。名前は大切だよ。

名は体を表す、というけれど、Chikaさんは、ちょっと、ちかちかした気性のようだ。時々、人を刺す。そして、自分をも刺してしまうみたいだ。人を、自分を、ちくちくと刺すようなことがあっても、Chikaさんのちくちくは大丈夫。


いろいろなことがあったけど、大きな病気もせず、みんなと仲良く大きくなって、元気で仕事をしてくれている。もっと、もっと、幸せになってほしいと願うばかりだ。

私たちは、私たちがこの世と思っている「世界」における、ほんのわずかな空間の歪みみたいなものだ。二つの歪みが一瞬間、すれ違って、宇宙のあちらとこちらに飛んで行ってしまう。そして、再び永遠の静寂に戻る。この世の出会いは、そんな紫色の火花のような、奇跡みたいなもの。許し合って、一瞬をいつくしもう。私のレスビア。

大岐の「明日への扉」に向かって駆けて行くChika

向こうに広がるのは太平洋
水平線の彼方に何がある?

がま君の旅 9日目 いよいよ道後温泉だ

高松に昨日7時頃到着
10kmほど走って野宿した

瀬戸内の夜明けである
日本海には日は昇らない
ちょっと新鮮な気がする発見では…?
これは屋島だろうか
その後数時間を経て
がまは新居浜に到達した模様。
そそくさと路肩に自転車を停めてうどん屋に入っていく様子が確認された。

おそらく好物のかき揚げを頬張っていることであろう。
残すところあと70km

2010年9月8日水曜日

ガマ君の旅 8日後半




昼過ぎ、メリケン波止場から高松行きのフェリーに乗った。
高松までこんこんと眠る。

だいぶん体力的にリミットが近づいているようで、
火照り、膝周りの腱の痛みなどが治まらない。

明日一日に高松〜松山間を一気に走りきろう。
高松が近付いてきた。
夕闇が迫っている。
少しでも体力を回復するために、今夜寝る場所を早く見つけねばならない。

ガマ君の旅 8日目 朝

朝から台風の弾丸のような土砂降りのなかを走り、今伊丹にいる。
伊丹空港の滑走路のすぐ先で、晴れた。

仙台から伊丹まで飛行機でたった二時間である。
僕はこの一週間なにをしていたのであろうか…

  おまえ、おまえ、海まで百里
座りこむのはまだはや〜い〜♪
というわけで神戸から高松まで、フェリーで瀬戸内海を渡ろうと思う。

ガマ君の旅 6日目と7日目

6日は福井の山中から一気に琵琶湖へ下り、炎天下の湖西を京都まで駆けた。
朝方、山道で鍬形虫などをいぢめていた頃は全くよかったのだが、長い下り坂の途中で油圧ディスクブレーキがフェードした挙げ句、ピストンからオイルが漏れた。

その後は後輪のブレーキだけで慎重に走り、京都まで残る100kmを騙したが、酷く消耗した一日であった。
6日の内に京都市内で代替部品を調達し、友人宅へ避難した。
それで、7日は休足日と決めてブレーキを修理し、一日寝ていた。
明日からまた走り始めることが出来る。

2010年9月5日日曜日

ガマ君の旅 5日目 夕


東尋坊を見たあと、主幹国道8号に復帰。


しかし、暑くてやっとれん。

風もそよとも吹かない。


風車も止まって、だらりその翼を休めている。

日陰で昼寝でもしよう。


今日は朝寝坊したあと東尋坊に寄り道して、本道に戻るのに猛暑で干物になりかけた。


もう日本海は満足です。

おなかいっぱいです。



そういうわけで、越前岬をパスして一気に滋賀を目指す。

内陸になったら今度は山また山。

今夜は福井と滋賀の県境の、今庄365スキー場に野宿する。温泉がある。いいねえ。しかしスキー場までの登りは地獄のような坂道だった。

ガマ君の旅 5日目 朝

くそ。

寝坊した。

キャンプサイトに発電機とラジカセを持ち込み、夜中の4時まで騒いだ挙げ句、爆竹を鳴らすようなやつらは全員からすに目玉をつつかれて死ねばいいと思う。

と、がまは眠い目をこすりながら申しております。


他人の迷惑を考えないことにおいては越前くらげ以下だな、おい。

とも申しております。

そういうわけで今日は越前岬を越えて行きます。


ごきげんよう。

2010年9月4日土曜日

ガマ君の旅 4日目

能登半島を横切り、兼六園を無視し、ひたすら海岸沿いを走る。

しかし、金沢を抜けるのに手間取り、走行距離は伸びなかった。


北陸はとにかく夕日と水が綺麗だ。

今夜は小松空港のそばのキャンプサイトに泊まる。

明日は東尋坊だ。十円玉が積んであるという噂の公衆電話からお家に電話をかけよう。



晩飯食う間に夕陽が沈んだ。

地球は物凄いスピードで回転しているらしい。


水平線に漁り火が灯った。あの明るさはいか釣り船だろうか。



2010年9月3日金曜日

ガマ君の旅 三日目 夕

能登半島に夕日が沈む

これが見たくて日本海まで来たのかなあ

今日は朝出がけにキャリアに付けておいた洗濯物をまず落とし、昼頃サンダルを落とした。

ウッカリ続きである。

財布や命まで落とさないように気をつけよう。