2011年6月29日水曜日

ごきげんよう、Gama君  <ライネけ>

 がま君とともに空を飛びたければ、
▲を押してみて。

当家の三番目の子、次男坊として、4分の1世紀にわたる長い長い被保護者時代を過ごしてきたGama君が、ついに、我が家を巣立って行った。
Gama君は、滋賀県大津市瀬田の山の上にあった、某国立医科大学の職員宿舎で生まれた。その前年に長男Haruno君が我が家にやってきたばかりだったので、父親たるライネケにとっては、なんと言ったらいいのか、闖入者という感じがあった。

生後、2週間ほどは、ほとんど手間がかからず、一年間にわたって、Haruno君のすごい高周波の泣き声に辟易してきたライネケは、今度の奴は楽だわいと、最初、思ったもんだ。

ところが、これが大間違いだった。とにかく、ビコビコ、グジグジ、しつこく泣くのだ。夜も昼も、ずっと。よほど体力があると見えて、とにかく、圧力が強い感じで、粘り強く泣くのだね。本当に参った。

その年の夏休み、Gama君を含めて、親子5人で、例のゴルフ・カブリオに乗って、滋賀から西宮、淡路島、鳴門、徳島、室戸を経て、高知に行った。前日まで、ずっとGama君の夜泣きのせいで、眠れなかったので、今夜眠れなかったら、一日中運転する我が身が持たないと思った。車の中でも泣く彼を、何度、窓から捨ててやろうかと思ったことか。それで、高知の手前の何処かの薬局の前で、「夜泣き・癇の虫に、樋屋奇応丸」という宣伝を見かけたので、騙されたと思って、樋屋奇応丸を買った。

そして、その夜は・・・。どういうわけか、泣かなかったんだね。これが。嘘みたいに。奇跡だと思ったよ。でも結局、夜泣きが再開して、その後、長い間、苦しめられた。よほど体力があり、要求が強かったんだろうね。

出来がよかろうが、悪かろうが、子供のことを思わない親はいない。子どもたち一人一人に、思い出は尽きない。あんなこと、こんなこと、あったっけ、という日が、きっと来る。


ゴルフ・カブリオのフューエルリッドのキー孔のカバーが折れてしまった。何とかして継ごうとしたがうまくいかないので、投げていたところ、奥の工房で、彼が、何やらやっていると思ったら・・・。

なんとねえ。ワンオフ物のFRP製カバーを自作してくれた。

うん、いいんじゃない? これだと、カブリオを廃車にしにくくなるね。
思い起こせば、ガソリンランタンのホヤを割ったのも、サングラスの弦を折ったのも、キャンプで皆が楽しみにしていたキムチ鍋をひっくり返したのも、みんな、Gama君だった。可愛い破壊者だった。創る者は壊す者でもあるのだろう。

ロナともお別れだね。今のうちに撫でてやっておいてよ。

人は、それと気づかないうちに旅立つものなのかもしれない。あとになって、実は、あれがお別れの日だったのだな、と思う日が来る。だから、いつもいつも、「今」を思う。


そして、目を閉ざせば、見えてくるのは、この顔だ。

ごきげんよう、Gama君 


2011年6月17日金曜日

徒然雑草  Chica

長野の出張から帰って来たよ。
魚が苦手で、特に煮魚が嫌いなんですが、
(あの特有の生臭さが苦手)
行くたびに、鯉の煮つけが出されて辟易します。
まあ、主な動物性蛋白源が
蚕・ザザ虫・川エビ・川ハゼ・蜂の子の土地であるからして
鯉の輪切りなんてのは、贅沢品であることは
承知の上でなんですが、

やっぱ・・・・きっついわあ・・・・・・。

魚が苦手な理由の一つは、まあ臭いな訳ですが
もう一つの大きな理由は
食べ辛さです。
焼き魚にしろ煮魚にしろ干物にしろ、なんせ難しい。
クイーン・オブ・不器用の私にとっては
人前で魚を食べるのが凄く苦痛なんです。
グチャグチャの皿を見られたくない。

我が家のシーエーティー的毛物、職業:半野猫 ロナウド先生が
「1回、¥カルカン1缶円で手をうつぜ。
だけど、俺の指導は血を見るぜ」って言ってくれたらば
張り切ってやる気を見せた後に即効で辞退するが
(だって血は見たくない。アイツ、本気で噛むんだもの)
どうにか、上手くならないものかなあ。
そんなこんなで、
「新鮮なうちに素早く骨の無い部位のみを短冊状に切り分けて
醤油と山葵で頂く魚」通称:刺身は
新鮮であれば美味しくいただく所存であります。

ところで、西洋料理のテーブルに出てくるあの魚用のナイフ。
使いづらくないかい?
箸でさえ上手くいかんのに
あんなん無理だわ。
あと、フォークの背に米のせて食べるって
意味わからん。
なんで楽しいご飯タイムにわざわざ、
サーカスみたいな真似せにゃならんのか。

とどのつまりは、お箸万歳!

写真は、長野の某所の河川敷より。
花畑で花越しの空ってアングルに妙にはまって
打ち合わせそっちのけで、カメラを構えておりました。

2011年6月7日火曜日

近況報告 2011-06-07 <ライネけ>


今日から、ネコパコは丸亀に行って、留守だ。

東日本大震災と福島原発事故以来、すっかり元気を失っていたライネケも、さすがに、少しずつ元気を取り戻しつつあるようだ。

6月4日(土曜日)、外来終了後、昨年11月を最後に乗っていなかったアクアミューズを出艇した。しばらく乗らないでいたら、すっかり艤装の手順を忘れていた。おまけに3日も経つのにあちこちが痛い。アクアミューズを買ってから、まる4年が経ち、あまり進歩もしなかった代わりに、対して危険な目にも遭わずに済んで来た。
いつまで、こうしていられるのだろう。
明日はどうなるか分からない。

5年前、面接で選んだ6人のスタッフのうち、2月1人、3月末もう1人が退職したので、その二人を補うべく、ネコパコ事務長の大英断で、3人を新規採用した。やめて行かれた人たちの将来に幸あらんことと、私たちのささやかな診療所の着実な成長を祈りたい。

1984年頃?
室戸岬近くの国道55号線沿い。
太平洋の向こうに何がある?
ずっと家族の成長を見守ることになるカブリオと。

当家のゴルフカブリオだが、サイドブレーキ左右ケーブルとリアハッチのダンパー、前後サスペンションダンパーの交換、前左右タイヤの新調を行ない、さらに長生きの第一歩を踏み出した。28歳で20万キロだからね。走れる限りは走らせてやりたい。

そして、なんと言っても、とっておきのニュースなんだが・・・。

4月以来居候している当家のGama君が昨夜、松山の販売会社からの勤務が終わって帰って来て言うことには、

「ええ〜っと、どうやら、販社勤務は、6月一杯で終わりみたい。」
「次の配属先? まだ、分かんない。」

ということで、彼はいよいよ、七月には旅立つみたいだよ。現在、彼は、二階奥の和室を占領して、模型飛行機工房を開いている。高校時代とまるで同じことをやっている。延々と飽きもせず。いつまでも好きなことだけやって生きて行けるといいねえ。祈ってるよ。
スーツが今ひとつ似合わんね。
居ると目障りだが、
いなくなるとなると、名残惜しい気もする。