2013年1月30日水曜日

ネコパコ事務室だより


長かった一月もいよいよ終わる
明日にはカレンダーを替えねば…
 当地は今一番寒い時期
急にしもやけやヘルペスの患者さんが増えて来た
いつもの年より冷え込みが厳しいように思う
 待ちに待った手袋がやっと帰って来た
担当して下さったOさんのお手紙付きだった

裏返して見ると全体的に糸が随分弱っていたこと
ミシン縫いが出来ないので手縫い修理をした
環縫というミシンが使ってあったが一部の糸が切れると
パラパラとほつれて行くので全体にほつれ止めをしておいた
革はまだまだ丈夫で使えるから大事にして下さいとのこと
昨年11月 27日のブログ写真とくらべて見ると分かりますが
私自身が修理した赤い糸がそのまま残っているのが
正直ちょっと残念なのだけれど
あちこちにあったぱっくり破れが補修され
再びはめることができるようになった!! 
とても嬉しい
実は今回あまりに長く掛かったので修理代は不要というお申し出
Oさんはオオジーという手袋会社の社長さんご本人
多忙な中 2ヶ月にわたり預かって下さったことを考えると
とても申し訳なく思ったのですが 
ご好意をありがたくお受けすることにした
明日はデパートに行ってお菓子を送ろうと思う
いろいろ忙しい一日となりそうだ

2013年1月23日水曜日

あれこれ

寒い季節のがまは、基本的に布団のなかでうごうごしているばかりだ。
したがって、これといって特筆すべき出来事もなく、傍目に甚だオモシロくないはず。
そうだそうだ、だからブログを更新してもみんな欠伸をこいて寝てしまうだろう。
それじゃあ更新しても意味ないので、控えよう。そうしよう。

…と屁理屈をこねて寝ている間に歳が明けてしまい、早くも月半ばである。

まとめて近況を報告する。
除夜の鐘をいざ鳴らさんと、坊さん達が冷水かぶって気合を入れている頃、
がまは田舎で餅をついておった。これは田舎のオババである。
最近呆け気味だが、まだ少しはいけそうである。

坊さん達が日本中で狂ったように鐘を撞いている頃、がまは蕎麦をすすっておった。
諸君、その野菜天の代金は我が懐から拠出されたものだと、ここに宣言する。

失恋に凹む弟に、尾っぽで容赦なく喝を入れるロナウド様を見ながら、
仙人掌姉さんと大笑いをした年始であった。
 ずびしいっ! フォースを使え、フォースを!

最近は神様も密集宅地の時代である。
 くにもあてにならんからのう。わしらなにを頼ったらええんじゃわいや。

春うららかな陽光の下で瀬戸内はいつになく見渡せた。
丸亀から遠く対岸の水島の煙が望めたほどだ。

乗車率150%だかの東海道新幹線にて、ねこぱこ弁当を食す。
 あまつさえ周囲の弁当に対する視線が厳しく感ぜられるなか、
敢えて写メを撮ったがまを褒めていただきたい。

 夕日がまさに落ちんとする頃、富士山がくっきりと浮かび上がっていた。
もうすぐ宇都宮である。

やはり、一人で引き籠っているのがよい。
疲れないし、財布に優しいし、たぶん地球にも優しい。
最近の買い物については、追って報告する。

本年も宜しくお願い申し上げます。
がま

2013年1月11日金曜日

歳の初めに <ライネケ院長>

明けましておめでとう。

今年はどうなることやら分からない。
昨年末は、仲間のポチ公が逝っちゃった。
おいらだって、明日のことは分からない。
なるようになるさ。

新年の幕開けには
厳粛な気持ちで臨まなくては
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年初めの土曜日、外来が終わったあと、末っ子君とネコパコと三人で、MB230TEの後ろに、急いで、寝袋とテント、ストーブとランタンをほおりこんで、伊予インターから高速に乗って、香川県の引田(ひけた)という所まで行って、キャンプした。

引田インターに着くころには、すでに真っ暗になっていた。例によって、最寄のスーパーに飛び込み、食料品を買い、暗い中、細い道を走って、岬の裏側の無料キャンプ場に到着した。ストーブに点火して、両親と、いつもは姉兄貴達の陰でみそっかす扱いの末っ子君の三人だけで、キムチ鍋の豪華夕食をとった。その後、近くの温泉に行き、入浴して、テントを張った。末っ子君は、三人張りテントを独占して寝、我々は車中泊した。

そして、翌朝もなんとか晴れのようだ。
遠くに見えるのは小豆島かな?
早朝のなぎさを歩く孤独な男は末っ子君

海を見渡せるキャンプ場の海の家の屋上テラスで
朝ご飯の準備
前にするのは、新兵器の二口灯油ストーブ
おかずを作りながら湯が沸かせる。
なかなかいい所だったよ。
誰もいない浜と大きく広がる海。
トイレもあるし、水場もある。
実は電灯もつく。
これで無料なんだ。
やっぱり、キャンプは冬に限るな。
翌日も晴れに恵まれ、朝食後、引田の町の手袋ギャラリーを訪れ、親子三人、引田の町をさまよった。
引田の町の長い路地の向こうに
見えるのは瀬戸内海

井筒屋敷の茶室に掛かっていた額
讃州井筒屋敷は、江戸時代から、醤油生産で繁栄した引田(ひけた)御三家の一つ、佐野家の旧邸宅で、宏壮なお屋敷が今も保存されている。そのお屋敷の端っこには、茶室があり、掛け軸が掛かっていた。

BaudeLaiRE

自由なる人
永遠に
海を愛さむ

八十四 中河与一

だってさ。
何だか、心にしみるな。
この町の、この屋敷の、この部屋を出て、百メートルも歩くと海なんだ。

この数年間、時に棘々しく感じられた末っ子君も、何だか、柔らかく、優しく、まるくなったような気がするのは、気のせいか? 彼も、いつの日か、このあわただしく歩き回った二日間を懐かしく思い起こす日が来るだろうか。その頃、私はこの世にいるだろうか。

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今年は
わたくしの年でございます
今年は巳年だ。
年明けにもらった年賀状のデザインも、これは、と思うものがあまりなかった気がする。
多分、めでたいものとしては、蛇は図案化しにくいのだろう。
前途に微妙な不安をいだきつつも、柔軟に、巧妙に、辛抱強く、障害物を避けながら、進んで行くしかないのだろう。
ままよ、さもあらばあれ。
さいわいあれと祈りつつ、進むのみだ。

本年もよろしく。