2015年2月24日火曜日

みかん山に菜の花が咲く <ライネケ>

「朧月夜」
作詞 高野辰之 作曲 岡野貞一

菜の花畠に 入日薄れ 
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し

里わの火影(ほかげ)も 森の色も
田中の小路をたどる人も
蛙(かはづ)のなくねも かねの音も
さながら霞める 朧月夜

宇和島近くの吉田町付近
国道沿いのみかん山を越えて、瀬戸内海を望む
昔、小学生の頃、先生の弾く足踏みオルガンに合わせて、子ども達は声を揃えて、こんな歌を歌った。最近は、小学校の横を通っても、ついぞ、そんな歌声を聞かない気がする。
文語混じりの旧仮名遣いだし、「にほひ」なんて、匂いも臭いも書き分けなくなった現代では、文部省唱歌なんて縁遠いものになったのだろう。「にほひ」は嗅覚に関する言葉ではなくて、本来は、嗅覚で感じられる香りやにおいだけでなくて、色合い、美しさ、余韻、魅力などといった視覚、触覚で具体的に把握されないような、雰囲気で伝わるような感覚を表す微妙な美しいやまと言葉だ。 「におい」でなくて「にほひ」。響きだけでなく文字面の視覚的にも空気に溶け込んで拡がる何かが感じられるようだ。

南予まで何しに行ったかというと、実は、みかんを買いに行ったのだった。
愛媛は、柑橘類が豊かで、最近はますます種類が増えているようだ。

安物買いのライネケは、例によって、小玉の安物を大量に買った。小さくて沢山あるのは、南柑20号の小玉、わけありB級品とかで、これだけで300円だ。
あまり安いと、みかん農家さんに気の毒な気がするくらいだ。その安物を買うのがライネケなんだが。


大ぶりでヘタを取り巻くように盛り上がったのは、「デコポン」で、「清見」と「ぽんかん」の交配でできたもの、色が浅黄色のは「媛小春(ひめこはる)」で、「清見」と「黄金柑」のかけ合わせ、といった具合だ。一番右側の二個のつやつやオレンジ色のはご存知「伊予柑」。

今回のお目当ては「媛小春(ひめこはる)」で、外観に似合わず、むきやすくて、内袋も薄く、甘くて、適度に酸味もあって、香りがいい。これは人気が出そうだな。
今の柑橘類は、複雑怪奇な交配に次ぐ交配の結果産物で、柑橘農家関係者の努力にも頭がさがるし、美味しいのは結構なことだが、これはとんでもない近親相姦関係の産物なのかもしれない。

とか何とか言いながら、腐ってはもったいないからと、ぱくぱく食べてしまっては、ネコパコに叱られるライネケなのだった。




2015年2月14日土曜日

ネコパコ事務室だより

皆様 お変わりありませんか
ボクはますます丸くなった…でしょうか
ネコパコ母さんはボクを「ボテロの猫そっくり!!」と言います

ボクは毎日、のびのび猫ライフを満喫しています
これでもか

さあ、これでもか
ストーブ大好きです

父さんと母さんは休日になったら車でブイブイお出かけ
だんだん春めいて来たのがうれしいらしい

海に

 山に


よくよくお気楽な人種らしい
空が美しいな
ボクの目の色だ

2015年2月4日水曜日

なんとなくずらっと写真 仙人掌姉

1月上旬に築地市場に行った。
築地は来年には移転するとかで、
今年いっぱいまでしか「これぞ市場!」という
ゴチャゴチャした慌ただしい感じを味わう事は
出来ないらしい。
 
3人以上の集団行動が嫌いなので、
違う企画だったら、絶対に手を挙げなかったしなかっただろうが、
築地に行く機会もそうそうないだろうと思い、
会社の新年会として企画されたものに参加したのだ。
 
築地に朝8時集合。
私の住んでいる最寄りの駅から築地市場前の駅まで
地下鉄を乗り継いで45分程。
高層ビル街の地下を潜っていると思っていたら
地上に出てみると、バラックのような小さい店舗がひしめき合い
竹で編んだ大きな籠に魚やら野菜やらを詰め込んだ荷物を載せた
黒塗りの自転車がフラフラと走る市場に突如出るので面食らう。
 
会社の同僚達が何やら言いながら、店を選ぶのに
後ろから黙ってついていき、海鮮丼が売り物の店に入る。
皆が選ぶのを横目で見ながら、足並みを揃えて
オーソドックスな海鮮丼1300円を食べた。
魚はやはり新鮮で、美味しかった。
 

でもね。本当はこの2000円の雲丹丼が食べたかったの。
「朝からこんなに食べられなーい」とか言っている女性陣の前で
一人勝手に、「私はこれにする」と好きな物を食べると
後で何を言われるか分かったものではないのだ。
まだ覚醒しきっていない寝ぼけ頭で、
「私も【空気を読む】とは大人になったものだな」などと
思いつつ、しみじみとガリを齧ったのである。



 これが食べたかったの。雲丹・・・・・・・・・・丼・・・・・・・。


その後は自由行動で、
皆さん、仲良く連れ立って築地市場の場外をそぞろ歩きされたようだ。
私はいち早く集団を抜け、
自分が気になった路地やら店を覗きつつ、約1時間を過ごした。
市場の突当りには、波除神社という神社があり、
高さ2mもある大きな獅子頭が奉納してあった。
波除とは良い名前だなと思い、常日頃わざわざ波に呑まれに出かける
院長どんにお守りを買って送ろうか考えたが、
良い波も全部除けてしまって、前に進めなくなってはますます困るので
やめておいた。

 


その他にも、屋台のような店で売られている甘い卵焼きや
鉄板で焼かれた牡蠣を買い食いし、タヌキのようなポンポコお腹になって
築地市場散策は終了した。


その後、東京スカイツリーの展望台に3000円も支払って登った。
遠くにうっすら富士山が見えた。

 
初めて上京したのは受験の時で、
新幹線の窓から見えた富士山が想像以上に大きくて驚いた。
生まれ育った地域はどこも、山か海を目印にして方向を確かめる街並みで
どこまでも街が広がっている関東平野が教科書に記されていたとおりだと
感心した覚えがある。

狩りをする動物に縄張りがあるように
人間にも住み着くのに必要な土地の広さは決まっているのではないかと思う。
自分の足で歩き回りきれない広さは必要ない。
自転車で走り回って疲れ果てない範囲に、
知的好奇心や食欲を満たすに必要な施設と、
気分転換になる爽やかな場所と、
有れば便利な何かしらが程よく揃っている。
そんな街であれば十分なのだろう。

このビルの群れのどこかに、
今月には家賃1か月分80000円の更新料を支払って
住み続けなければいけない私の小さな巣がある訳だ。
約10年住んで、全く愛着が湧かないこの平野を
私は日々の食い扶持を稼ぐための仕事場としか捉えていないのだと、
高いタワーの上から見下ろしつつ、思った。