2016年8月31日水曜日

男子 志を立てて <ライネケ>

昔は、郷里を離れて、遠くに遊学するとかいうときは、まなじりを決して、「男子志を立てて郷関を出ず 学もしならずんば 死すとも帰らず。」とかなんとか言って、家を出たんだろうが、現代は違う。

東京まで行くとして、我が家から空港まで10分間、松山空港から羽田まで1時間半、羽田から都内まで1時間というわけで、ほんの半日足らずの道のりだ。

今年3月、自由学園を卒業したShige君も、4月から社会人になって、忙しく働いているようだ。毎年夏休みになると、高速夜行バスに乗って、早々に帰省していたのが、今年はお盆になってやっと帰ってきた。肉を食べたいという希望を聞いていたので、ネコパコが大奮発して、今夜はステーキだ。

大奮発のビーフステーキ

いつもはひと夏ずっと、ひと月以上も我が家でごろごろして暮らして、夏の終わりに、いやいやながら上京したものだが、今年は数日いただけで、もう上京するという。

立派な一人前さんにおなりだね


後の門扉にネジ止めした表札は、たしか5年前、彼が学園の工作室で作ってくれたものに、緑色のペンキを塗った。いつの間にやら、錆が出てきて、これはこれでいいのかな。

手持ちの緑色のペンキで塗って、
取り付けた頃はまだ、新しかった。
門扉も木塀も7,8年前、彼が一人で全部塗ってくれた。それに、松山市内の廃屋の前に延びていたツタをむしりとって来て、挿し木したツタがこんなに伸びて、わが家の塀をおおいつくすようになった。
やややっ!
オイラより背が高くなった?
いつの間に?

いつの間に、こんなに大きくなったのだろう。オイラより背も高くみえるけど、遠近法のせいか? いやオイラがちぢんだのかも知れない。学生時代は随分とんがった髪型をしていたのに、すっかりサラリーマンらしくしていて、今では、給料を貰って、自活して生きて行くようになった。

とうとう、私たちのもとには被保護者というものがいなくなり、私たちも保護者ではなくなったわけだ。
3月の卒業式の時には、まだ彼は私にとっては、あのShigeちゃんだった。しかし、今はもう、彼は私と対等な立派な男なんだ、と思える。

生まれて間もないころのshigeちゃん

Chicaに始まり、Shigeに終わった子育て時代は35年にして、とうとう終わったわけだが、親であった私たちの心のなかには、彼らはいつまでもあの頃のままで居続けるような気もする。

物理的には、東京は昔よりはるかに近くなったというのに、彼らと私との距離は随分拡がったように感じる。それでいいんだろう。

そうそう、昔、ライネケが中学生になって、漢文を習いだした頃、伊予爺ちゃんが、教科書の例文を指さして、これを読んでみろ、という。50年も前の話だ。

 「学若不成 死而不帰」
オイラは答えた。
 「学もし成らずんば 死して帰らず」
伊予爺ちゃんが笑って言った。
 「死んでしもたらいくまいが。”死すとも帰らず”じゃろが。」

おかげさまで、まだおおむね、元気みたいだ。いつまでこうしていられるかは分からないが。
Chicaさんのシンガポール土産のランプ
暗いけど、暖かくなる。
8月末の今日、風が随分秋めいてきた。
みんな、元気でいて下さい。








2016年8月10日水曜日

新加波 彷徨2

連日、夕食を地域の屋台集合村のような食事場所で食べる。
1$=120円
3$も出せば、皿に野菜と肉を炒めたのと長粒米の定食のようなのが食べられる。
中華系の人々が暮らす地域では、中華料理を。
インド系の人々が暮らす地域では、インド料理を。
英語も通じないから、身振り手振りで注文をして、
1畳半程の厨房の中で汗まみれになって中華鍋をあおる、おとうさんと
私の服装を上から下まで眺めたあと「ヤーパン?」と聞きながら
料理の説明らしきものをしてくれる、浅黒い肌のおかあさんと。

味は想像以上に大きな外れは無かったので呑み込めない位、
口に合わない食事にはあたらなかったが、
うだるような気温と温い湯を背中に延々と流されたような湿度のおかげで
日に日に食欲が落ちてくる。
油で炒めたり、揚げ物が多い中華料理に胃が疲れてしまった。

食材の匂いがそのまま漂う空間にも、いつの間にか五感が鈍り始める。


新加波 彷徨 1

金子光晴の「マレー蘭印紀行」をはじめて手にとったのはいつだったろうか。
学生時代だったような気がするが、今となってはもう昔の事としか思い出されない。
文字の隙間から漂う怪しい南国の香りとなにやら響きが心地好い地名たちに魅了され、
今でもふと存在を思い出しては時折本棚から探し出し頁を開く。
サゴヤシの物憂げに垂れた葉を腐りかけの果実を浮かべた波が洗う。
下品な朱色に染まった唾液が音をたてる檳榔売りの女の口許。
マレー半島は私にとって明るい日差しの下で気怠い淫靡な風土であり、
植物を学ぶにつれて興味をそそられる未開の森林だった。
山歩きも水遊びも好まない、
鉄骨の梁に支えられた硝子張りの部屋の中でも陰に蹲って眠り続ける事を望む私には、
熱帯雨林を己の眼で見ることなど非現実を通り越して遥か彼方の銀河の話だったのに、
気付けば何故か滴る汗を拭いながら山道をひたすら歩いていた。

2日前に上空を旋回した時、なによりも驚いたのは土の赤さだ。
明るいオレンジ色に見える土壌が水に溶け出すと河の流れも色づいている。
等間隔に植えられた樹木からプランテーションが広がっているのが分かる。
竹から葉をもいで投げたような小さな船が浮かんでいる。
イギリスで雨の香りの中に感じた人間の征服感漂う草原でも、
アメリカで通り過ぎた物悲しさの漂う牧地でも、
オーストラリアの上空を通り過ぎた時見た、人間という生物を必要としない赤い大地でもなく、
マレー半島の島々には、放り出し広げた女の足の間のような投げ遣りな空気が漂っている。
最後の秘境を有しながら、人間に犯され続ける傷つき疲れ果てた土地。