2017年6月24日土曜日

ホームアローン ライネケの食生活 <ライネケ院長>



月曜日から、引っ越しをするChicaの手伝いをするのだと言って、ネコパコが東京に出かけて行った。帰って来るのは来週の月曜日だそうだ。

6月はじめに梅雨入り宣言があってから、ずっと晴れが続いて、いつもの空梅雨だね、と思っていたら、昨日から少し降り出して、今日は曇り。来週から、本格的な梅雨になるのかね。

そんな中でも、仕事はせにゃならぬし、食事もとらねばならぬ。
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まず、朝は、
目玉焼きとウィンナーの炒めたやつ、キャベツ・玉葱・人参の炒め物、トースト二枚、牛乳
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午前中の仕事が終わった。
さて、昼は何にするか、と冷蔵庫を覗き込むと、
冷凍したドライカレーをご飯に載せ、解凍し温め、生野菜サラダ用に刻み野菜に日曜日買ったドレッシングをかけ、朝作った野菜炒めをつけよう。
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夕方が近づき、午後の仕事が終わる頃、夕食をどうするか、考えなければならない。また冷蔵庫にくびをつっこみ,
シオシャケの焼いたのと、ネコパコの作っておいてくれた鶏の柚子・胡椒味煮付け、インスタントの赤だし、生野菜刻みのサラダ。
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やれやれ、これで三度の食事が一日済んだわけだ。明日はどうしよう。これがあと何日続くのやら。


あとは、例のごとく、食後の珈琲で一服。
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そうそう、忘れてはいけないのが、


この子のことだった。ずっとドライフードの餌だが、文句を言わないで食べるんだぞ。
それにしても、割引があるというので「Sheba」というシリーズに変えてみたら、容器に入れてやるはなから、そっぽを向いて食べない。それで、割引がなくなったけれど、もとの「懐石」というシリーズに戻したら、早速食べるようになった。前者はカナダ製で後者は国産だ。ゴロフクは、どうやら和猫のようだな。

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いつの間にやら、ネコパコが出かけてから、6日が経ち、食卓のことを考えるのも、もうしばらくの辛抱だ。三度三度の食事の内容を考えるって、本当に手間だ。

いわゆる「おさんどん」という言葉は、三度の食事という「さん」から来る言葉ではないらしくて、元来、炊事係の下女を指す言葉だったそうだ。それにしても、食材の買出しも含めて、炊事だけでなく、洗濯も掃除も片付けも、どれをとっても大変だ。およそ、下女というような蔑称をもって、身分の低い誰かに押し付けて済ませられるような仕事ではない。ネコパコには感謝しているよ。

ネコパコさま、ナマネコさま、どうか、無事に帰ってきてくだされ。6月27日は、貴女さまのお生まれになった日です。腰をお大事になさって、元気に帰って来てくだされませ。





2017年5月23日火曜日

お山の上にて 仙人掌姉

カピバラ氏と箱根のお山の上に行ってきました。

箱根のお山の上には、秘蔵ハーゲンダッツ:チョコレートブラウニー味を
勝手に食べた食べてないで揉めている、兎が住んでいます。
かなり激しく揉めていました。

箱根のお山の上に行くには関所を通らなければいけません。
関所では入念な持ち物検査とパスポート確認が行われる他に
「猫派か犬派か?」「朝食の卵はスクランブルエッグか目玉焼きか茹で卵か?」
「湿ったカールと気が抜けたコーラならどっちが好き?」などという
かなりハイレベルな質問が待ち受けているので、ドキドキします。
仙人掌姉は湿ったカール薄味と気の抜けたコーラが好物です。
カールは梅雨時期に封を開けて一晩寝かしてから食べるのが、通の食べ方です。

空気が澄んでいて、色々なものの色がとても綺麗に見えました。
心なしか仙人掌姉のお眼眼も若干濁りが消えたようです。


あっという間に5月ももう後半ですね。

箱根美術館の苔庭の完成度が高く、素晴らしかったです。

ハーゲンダッツ:チョコレートブラウニー味を食べた真犯人はコイツです。
邪悪な埴輪兎!
以前、仙人掌姉の自宅の冷凍庫から
「ダイエット中だから可哀想だと思って食べてあげたのよ」と宣い
ハーゲンダッツを食べたのは事務長とSigu君です。
未だに覚えている執念深い仙人掌姉です。
 
 
暑い日が続きます。
皆さん体調管理に気を付けましょうね。
 

2017年4月22日土曜日

春を追って 仙人掌姉

時間が欲しいと思った。

大概は一人で自分自身と向き合う時間が必要だけれど今回は違う。
父と母と過ごす時間が必要なのだ。

そんなふうにりゆうをつけておねいちゃんは、
またなにからにげてきたの?
全部だよ。
いつも目の前の全部から逃げられないって
気付いてから逃げようとするんだ。
 
適当に詰め込んだ荷物を引きずって飛行機に飛び乗り、
東京が最初だった桜の開花宣言からフィルムを巻き戻すような季節を横切って
いつもの我が家に帰った。
 
サクラも若葉もシャクナゲもツツジも皆満開で、大合唱を聞いている気分になる。
石鎚山の谷筋に雪が残っているのが我が家の屋上からも見えた。
自転車に乗って周囲をフラフラしていると麦畑の麦がすくすくと実っている。
先月に訪れた時は石鎚山は頭全部が白くて、麦の穂はまだ若かった。

時間は止まらない。
仕事あがりの父に無理を通して育った街へと出かける。
観光地に住んでいたら「あるある」なのは、
有名なホテルでも宿でもお世話になる機会がないことだよね。
いつか泊まってみるのも面白いと思っていたアイビースクエアに部屋をとり宿泊。

夜の倉敷。誰も歩いていない裏通りを一人で歩きながら
ここで過ごした時間を思い出した。
 
 
春を通り過ぎて初夏の気配すら漂う鶴形山を朝食片手に親子三人であがり、
それぞれに思う事ありつつ、阿智神社にお詣り。
 
鳥居の上へ石を載せる遊びをしながら、夕方の時間を過ごしたのが懐かしい甍の街並み。
 
記憶はオルゴールの音のようにハイライトばかり繰り返すけれど、
生きていくのは、単調なリズムを刻むことの延長だったんだと、
歩き慣れた道を通り過ぎながら思った。
 
 
松山に帰る途中に鞆の浦へ立ち寄った。
穏やかな漁港の風景を好ましく感じるのは遺伝なのかもしれないね。
 
大急ぎで巻き戻したフィルムは、
あっという間にエンドロールが流れ始めた。
 
フィルムが無くなる訳でなし、ゼンマイが切れる訳で無し、
何をそんなに不安に思う事も哀しむ事もあるまいと、他人は笑うのだろうけれど
美しいものは全て哀しくて、愛おしいものは全て儚く感じるから
いつだって笑った後には泣きたくなる性分で仕方ないのだ。
 
 
 
だけど、いつか思い出すのは、どこのサクラの木のことではなく
車の後部座席から身を乗り出して、父と母の間に頭を突き出し
フロントガラス越しに見つめた
四国の山々が色とりどりの緑と桃色の点描だった事と
夕日が落ちていく瀬戸内の海が魚の鱗のように輝いていた事だろう。

 
 
時間は巻き戻せない。ただ通り過ぎていくだけなんだね。
共に過ごしてくれる人に感謝するしかないんだと今更ながら気付いたのに
また素直に口に出来ないままになってしまった。
笑って許してくれる人のもとへ、また何食わぬ顔で押しかけたら
皆でリフレイン。


2017年4月4日火曜日

2017年の春 <ライネケ>

春になった。

桜は、全国に先駆けて、東京で咲いたらしいが、愛媛の有名所では、まだつぼみが多く、せいぜい七分咲き程度のようだ。
それでも、ライネケとネコパコは桜を見に出かけた。



平野部では桜らしい桜は見かけないのだが、山間部に入ってみると、日当たりや何かの条件で数本まとまって咲いているところがある。



ここは、大洲から、肱川を遡上して、鹿野川ダムの近くの山の上にある小藪温泉をさらに山の中に入ったところだ。




地面には、ほんの5ミリに満たない紫色の花が咲いている。何の花かな? 小さきものはすべて愛おしい。




うつむきかげんに咲く白い花も。




大洲の出口に、まるで、京都の清水の舞台のような木造建築があった。少彦名(すくなひこな)神社参籠殿(さんろうでん)だそうだ。懸け造りといって、1943年創建だそうな。荒廃していたのを、2002年再建が始まり、ここに至るそうだ。再建に米国の非営利団体の支援を得て成ったというのにはちょっと驚いたが、一見に価するなかなか立派なものだ。

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ところで、今年はじめてのセイリングに出かけた。

4月1日土曜日、午後3時、仕事が終わって、晴れていて空気も暖かかったので、Haruno君の置いて行ってくれたウェットスーツを着て、燃料ポンプの修理から治ってきたばかりのMB230の上に、アクアミューズを載せて、塩屋の浜に出かけた。潮が引きつつあり、真横から4mくらいの北の風が吹いていて、どんどん沖合に出た。1時間くらい、沖合を行ったり来たりして、5時半ころ無事に着岸した。

着岸しようと、艇を渚に向かわせていると、浜辺に、ウェディングドレスを着た男女の一群がやって来て、夕日と海を背景に写真を撮り始めた。彼らにとって、今が人生の春なのだろう。不粋なひげの老人が、彼らの近くで撤収作業をすると、せっかくのいい気分が壊れるかもしれないと思って、迂回して、少し離れたところに艇を引き上げた。

風が強くて、結構ハイクアウトしなければならなかった。明日は、おなかが痛いだろう。









2017年3月29日水曜日

証し <ライネケ>

某嬢が永遠の証しにと指輪をもらったのだという。

永遠の誓いか。
昔々のこと、ライネケに極めて近しい人の離婚話が持ち上がったころのことだ。ライネケの父親と車に乗っていて、出会いの大橋に近づいた時、その話が車中で出た。老ライネケが運転していた若いライネけに向かって、伊予言葉で言ったもんだよ。
「あれらが添い遂げるようなことがあったら、それこそ、美談じゃわい。」
だって。

どうやら、カルチエの店で買ったもののようだね。
ダイアモンドは、その硬さ故に永続性の象徴だ。
どうか、指輪をもらった某嬢と指輪の贈り主が、永遠に添い遂げられますように、と心から願うよ。

昔は、親が似合いの相手を探し回って、釣書を見て、場合によっては興信所に依頼して調べてもらって、見合いして、やっと結婚にこぎつけるという具合だったらしい。要するに「割れ鍋にも綴じ蓋」を探したわけだ。それで、男性側が婚約指輪を渡し、結婚したら、お互い結婚指輪を取り交わすという運びになるらしい。

「らしい」というのは、おいら達ライネケとネコパコの間には、そんなやり取りはなかったからだ。

二人の男女がたまたま、何かのはずみでどこかで出会い、たまたま二人で共に生きて行くのがいいのだ。おいらにとっては、結婚とは「成り行き」の神様の前で成された一種の契約であって、いろいろな思惑、都合、条件を超えた偶然のめぐり合わせによって生じる純粋なものでありたいと思ったからだ。ある意味では、偶然性が高いほど純粋なのかもしれんって。自分は優れた人間だから、相手もそれにふさわしい優れた女性でなければならない、などと考えるのは、神がお許しにならない傲慢というべきだろう。

若かったライネケには、世間の誰もがするような贈り物をするという観念がなかった。金がなかったわけではないが、貧乏性だったしね。初めて、ネコパコと出会った頃は、たまたま何かのはずみで眼鏡のレンズを割ってしまってて、それを接着剤でくっつけて掛けていた位だ。女子大を卒業したばかりの若い女性の目には、よほど変な男に見えたことだろう。

まだ20代なかばのライネケとネコパコは、夕暮れ迫る京都の四条あたりに、いつものように自転車で出かけて、ふととある宝飾品の店のショーウィンドウに、ささやかなペンダントトップを見かけた。
緑色のガラスを透かして
銀がきらめく。
七宝細工の小品だった。半月型の銀板の両面に、緑色のガラスを盛り上がるように載せてある。2000円もしなかったと思う。単純だけど、表も裏も同じ細工で、買得だと思った。
女性と無縁だったライネケの生まれて初めての女性へのプレゼントだった。ちょっと照れるね。

下に敷いてあるのは
シラカシ次郎の葉っぱ

これも、少し遅れて、やっぱり京都の四条あたりで買ったものだ。いわゆるマベパールにゴールドの縁をつけたものだが、涙滴型できれいだ。これも割合安価なものだ。

大学を卒業したばかりの若かったネコパコは、いつも黒いぴっちりセーターを着ていて、その胸にこのペンダントがぶら下がっているのを見ると、ライネケの心はおどった。ふたりとも、若く、つましかった。当時は、若さと貧しさは時代の一種の風潮で、たとえ裕福な出自であっても、服装に意を凝らす気配を避け、男子は戦前のバンカラの風があった。

今こうして見ると、たとえ高価でなくとも、ライネケの選択眼は悪くないと思えるし、不思議なことだが、貧しさは美しさと通じるものなのかもしれない。

ところで、最初の某嬢のもらった指輪は、なんとサイズが小さくて、本当は薬指に付けるリングが小指にかろうじて入ったのだと言って、笑いながら指を振って見せてくれた。

人生は現実に合わせていくものだ。
最初は小さく末は大きく育ちますように、祈ってやまない。



2017年3月18日土曜日

3月5日  <ライネケ>

春になった。
Chicaが植えてくれた草に白い花が咲いた。
横にはチューリップの葉が伸びてきている。
しばらく前までは、白いものを見るたびに、ロナのことを思った。
屋上にも
小さな白い花が
3月5日はロナの命日だ。
といって、別に何をするわけでもない。きちんと揃えた前足に長い尾を巻きつけるようにして、三角形の目で、傲然と端座している彼の姿を思い起こすだけだ。

彼は、いわゆる内飼いではなく、外出自由だったから、気が向いた時に、当然のように、我々に玄関のドアを開けさせ、我々がいなくても、屋上の扉に付いていたくぐり戸を抜けて、屋上に出ることが出来た。彼がまだ手のひらサイズで目も開かず、自力でミルクも飲めなかった時から育てたというのに、私たちは彼の親というより、ドアマンであったり、給仕係みたいだった。

設置して12年目になる。
風にあおられて、何度も外れて飛んだ。
そのたびに、接着剤で補修して、まだ、使っている。
未練がましいようだが、彼に関連するものだと思うと、捨てきれない。今はゴロが屋上に出るのに使っている。

屋上西南側から、
お隣さんの屋根瓦が見下ろせる。
ふと窓から外を見下ろすと、草花の間を身を低くして歩いている彼の姿が見えることがあった。
結構な段差なんだが、
ロナは、一躍、身を翻して、
外の世界に出て行った。
ロナは、自由と気ままの象徴のように思えた。

ロナの後任のゴロは、動物愛護センターとの約束で、内飼いされることになった。彼も屋上によく出るのだが、幸いというべきか、この段差を飛び降りて、外界に出ていくという様子はない。それでも、屋上で、春の日差しと土と草に触れられるゴロは、世間並みの完全内飼いの「ネコちゃん」よりは、幸せなんじゃないかと思う。


ロナが去って5年たった今もしばしば考えてしまう。彼は私にとって、一体、何だったんだろうか。「自然」の一部だったのか? 「神」の伝言者だったのか? 彼が、私たちと共に、人生の十年余りを過ごしてくれたことで、何かが示されたような気がする。


屋上の射場の安土の斜面に、ロナが駆け上がった跡がまだ残っている。
爪の形が分かる。
深く残った彼の足跡に、今も爪の形を認めることが出来る。安土に水をやるたびに、この足跡に水を掛けるのをためらう。もう数年経つと、この足跡も消えてしまうのだろうか。

足跡というのは、土側に残った土の表面のことなのか、土の凹凸に入った空気側なのか、あるいは、その境界のことなのか? 土が崩れ落ちて凸凹がなくなれば、足跡は消滅するものなのか。それとも、それを見て、何かを思った人の心の中に残る何かのことなのか?記憶というものも一種の「もの」なのか? いや、これを見て、あれこれと想いめぐらすということそのものも、足跡そのものなのかもしれない。

今の私には、木の床に残った彼の爪あとも、安土に刻まれた彼の足あとも、単なる彼のあとかた、あるいは記憶であるというより、彼そのものと思える。「ロナ」というものに起因するすべてのもの、今は聞くことのない彼の鳴き声や見ることのできない彼の眼の色、彼の身ごなしを思い起こし、次々にさまざまの思いが連鎖して生じる。そうした「もの」だけでなく、形のない「反応」「情感」も含めて、すべてが「ロナ」であり、「私」であり、「世界」そのものなのかもしれない。


夕暮れ時の西の空の色が移り変わり、煙が消えていき、やがて濃い青の空に月が出る。

ある集まりの挨拶で、「当家の屋上から西の海の夕暮れの空を見ていると、本当に美しくて、人生の美しさ、はかなさを感じます。」と大真面目で言ったら、会場のあちこちから笑いが起こったのには驚いた。大げさに聞こえたのかな? 「美しい」という言葉を無邪気に口にした私は、少し傷ついたよ。一度、見てみるといい。

こんなに美しいのに。
明日は見られなくなるかもしれないのに。



 人生如夢    人生は夢のごとし
 一樽還酹江月  一樽また江月に酹(そそ)がん




2017年2月25日土曜日

時には哀しい事もあり…

春の雲は秋の雲ほど高くない気がする
まだ春霞で空気全体がもやっていない空は
牧歌的に浮かぶ綿雲が、殊の外美しいと思う

先日は、強風が吹き荒れた翌日の2月の空の美しさを堪能した

愛媛県壬生川河口 遠くにしまなみ海道
穏やかにスタートした今週半ば
友人の訃報が倉敷から届いた
今から15年以上前、今よりももっともっと未熟な私は
いっぱい彼女には助けられた
6才年上のOさんは、よきお姉さんだった

こんな日が来る事を思ってもみなかったわけではない

2年前、小さながん細胞が肺に見つかった事を彼女の口から聞いていた
「なるようにしかならないの」彼女は穏やかに笑っていた
1年前、電話で話声を聞いた

ちょうど10年間にわたる責任のある仕事のかたがついたらしく
安堵感でいっぱいの、いつにも増して明るい声だった

その時私が抱える問題の相談相手として適任だと思っての電話だった
「良い方向を信じて強く願えばいいの、不思議に叶うのよ
自分に与えられた仕事だと思ってね」

好きな山登りも旅行も楽しんでいるふうだった

「話聞いてあげるから泊まりにおいで」
そうだ、困れば彼女と話そう

私は迂闊だった
結局この1年間、面倒なこの問題は棚上げして埃をかぶらせた
相談に価する本気で困ることなど起きては来なかった
Oさんに会いに行くきっかけを作れなかった自分がはがゆい

昨日のお葬式には遠路であることに加え
tuperaワークショップのこともあり列席しなかった
家路に急ぐ時間帯は、晴天なら西日がまっすぐ目に飛び込み
いつも殺人光線!!と思う

この日も厳しい西日だった
細めた目に一筋の雲が見えた
太陽に向かってまっすぐに伸びるその雲は、けっして飛行機雲ではなかった
あわてて携帯を取り出して写真を撮った
彼女の魂が昇っていくんだなと素直に思えた
さようなら 私はここで貴女の事を思っている
あなたが残した言葉を思っている
さみしい 本当にさみしい

鉄塔左の電信柱あたりから伸びる縦雲

2017年2月20日月曜日

面白いか、楽しいか、喜びになるか

tupera tupera(造形作家?絵本作家?)のワークショップをやると決めて
早、一年が経ち、開催までいよいよあと一ヶ月を切った
団体で取り組んでいることだから、私だけがやっているわけではないが
盛り上がりを願って、いろいろ発案する立場で準備してきた


       
好きなことをやっているときのほうが面白いし、楽しい
それが自分のためだけでなく、少しでも人のためになるならうれしい
本当に求められることなのかどうなのか…
少し疑問を感じつつスタートした仕事であっても
引き受けたかからには、納得が行くようにやりたい

お客様に喜んでもらえるようなおみやげ作りを考えた
団体はどこからも援助のない主婦団体なので
なるべく元手のかからないことが求められる


考えたことを形にするのは面白かった
自分の指先から、ささやかでも物を創りだすのは楽しかった
今までの 子どものおやつづくりの力も捨てたものではないと思ってみたり…
いや本気で「これは商品開発だ!!」と気取ってみたり…

とにかくあれやこれや、仕事なのか 遊びなのか
曖昧な境界線上で、少しずつ形ができ上がってきた

絵本もド〜ンと買ってもらって活動資金に還元せねば…
本来の目的はいつの間にか、どこかにぶっ飛んだ感も否めない

いやいやそもそも言われた仕事を言われたようにできないのが私なのかもしれない
 今更ながらの自己発見 
 沖に浮かぶトリチピテ号に乗って、どこか遠くへ冒険旅行
ワニのワニーニのような無邪気さを忘れたくないね
今日は石鎚山もくっきりと見えて何だか幸先よい気がした
とうとうライネケまで巻き込んで、何が何だか分からないけど
単純に、支えてもらっている気になっている私っておめでたい?